人を見たら泥棒と思えとはよく言ったもの
2024年03月23日
昔からあることわざで「人を見たら泥棒と思え」というものがありますが、軽々しく人を信用してはならないという事と、まずは疑ってかかり、信用出来る根拠が揃ってから何事も取り掛かるべしという教えなのだと思います。
五年以上も公私にわたっての付き合いだったメジャーリーグの大谷と通訳は、もはや家族同然の仲のように周りから見えていましたが、大谷を窮地に陥らせてしまうような人間だったとは誰もが思っていなかったでしょう。
しかし、ギャンブル依存症だったと告白したり、億の借金を大谷に背負わせたりと、尋常ではない行為をするような人間でした。
今現在での公表されている情報からの話ではありますが、現時点では本人も全て自分が発端の事であると認めているので、それが現時点での事実なのでしょう。
このように、彼らの個人間においても、それを見ている周りから見ても、そんな事をするような人だとは思えなくても、現実はこのような悲しい行為をしてしまうのが人間なのです。
だからこそ人間だとも言えますが・・・
そう、人間は神や仏、聖人ではないので人間なのです。
過ちを犯すのが人間であり、それを前提にしてものを考えないといけないという意味で「人を見たら泥棒と思え」という格言があるのだと思われます。
どんなに親しくても、どんなに信用していたとしても、ある一定のラインからは遠ざけておく事が重要だという事が、今回の大谷選手に絡むスキャンダルから再認識できたはずです。
逆に考えれば、人を騙そうとしている者は、良い人を演じる必要があります。
という事はどこからどう見ても良い人と思える人が、人を騙そうとしている者の可能性がより高いともいえます。
明らかに粗野で粗暴な者が巧妙な手口で人を騙す事はありません。
人からコッソリと盗み出すような手口を使う者は普段はとても良心的な行動をし、周りを欺いているものです。
人を信じられないなんて性格が歪んでいると言う人は単なるお人好しで、騙され予備軍的な人といえるでしょう。
探偵をしていると、世間的に名士と言われるような人や聖職者に就いている人が実は悪党だったという案件に出会います。
それこそお寺の住職が不倫に明け暮れているとか、中学校の校長が援助交際をしている、市役所の職員が同じ課の先輩とw不倫をしていた等、見たくも無い汚らわしい人の業を見せられてきました。
まさに、人を見たら泥棒と思えです。
なので、自分以外の者とは、ある一定線以上の深入りをしないでおくことが大事であり、自分を防衛する大事な事です。
人はあくまでも人であり、愚かなことをしてしまう者であるという事を再認識するのに良い機会となった大谷さんの一件だと思います。