イエスかノーで答えない人は信用できない
2025年07月22日
どんなに頭が良くても、社会的地位があっても、結論を言わない人は信用出来ません。
やったのかやってないのか、有るのか無いのか等、一言で済んでしまう話を、長々と聞いてもいない理論を並べ始まる者は信用されるべきではありません。
日曜日に行われた参院選の特番が各局で放送されましたが、誰とは言いませんが、会話が成立しない受け答えをし続けている方が散見されました。
逆に、明確な自分の政策方針や理念、今回の選挙に対する方針など、ぶれずに、的確に答えていらした方もいらっしゃいました。
さぁどちらが政治家として魅力があって優秀かは一目瞭然といえるでしょう。
非業の死を遂げてしまった安倍晋三元総理大臣は、選挙特番において、明瞭に自分と所属政党における理念や方針を的確に答えていらっしゃった記憶があります。
当然、選挙は大勝し、総理大臣の期間も歴代最長となる大総理となりました。
当たり前ですよね。
また、以前、再生医療における新しい細胞が発見されたという大ニュースがありましたが、再現性が無いという問題が指摘され、嘘の論文ではないのかという一大スキャンダルがまき起こりました。
矢面に立ったのは、担当している若い研究員ですが、当然、その上司が存在し、研究員より先に自分たちの研究について、本当に有ったのか、無いのに嘘をついたのかを会見を開いて答弁していましたが、聞いても誰も分からないような研究内容を延々と話し、嘘か本当かの二択を言えばいいだけの話なのに、結論を言わずに席を立って去っていきました。
その後自殺されてしまったようで、気の毒ではありますが、死んでしまいたくなるような事をしてしまったという推論しか出てきませんでした。
陰謀論としては、外国からの謀略によって奪われてしまった研究という話もありますが、真相は分かりません。
イエスかノーの二択で話せない場合も確かにあります。
それは、知らない、分からないという場合です。
あなたのやろうとしている事は可能ですか?と聞かれ、やってみないと分からない事であれば、出来る出来ないではなく、実行してみないと何とも言えないとう答えになるのが自然です。
そして、国会答弁などで、痛い所を突かれると「記憶に無い」という逃げ口上が出てきます。
自分の記憶の中では知らない事と言ってしまえば、物的証拠が無ければその証言だけが頼りになりますから、汚いですけど、最高の逃げ口上となります。
もちろん、えん罪というものもありますから、疑われている事をやっていなければ、そんな事をした記憶は無いと言うのは有りですが、やっていないと言えばいいだけの事でもあります。
その他色々ありますが、最後に坊さんにも二択で答えない人が多数存在します。
こんな話は素人は知らないだろうという思いから、延々と仏教における話を聞かせて、当初の質問をはぐらかそうとする坊主も存在します。
社会的に偉いと言われているような立場の人でも、まともな受け答えが出来ない場合は、信用できない人として扱うべきでしょう。











