お坊さんは葬式や法事を行う仕事をする人
2023年10月17日
日本の葬儀は、仏式や神葬祭、キリスト式など、その家の宗教に則って行いますが、その大多数が仏式だと思われます。
その仏式の葬儀ですが、自分の家系が代々使ってきたお寺を使用するのが一般的ですが、それが無い場合は近隣のどこかのお寺に新規に依頼する事になる場合が多いでしょう。
お寺のお坊さんは、仏教の修行を終えた偉い人という認識を持っているかもしれませんし、仏教とはなんぞやと全く知らない人は、僧侶は仏教の伝道師のように思っている場合が多いでしょう。
しかし、日本の坊主においては、坊主という仕事と割り切って生活している坊主がかなり多いと思われます。
人が亡くなれば葬式が発生し、その喪主が自分の所属する寺と取引があれば、葬式に呼ばれ、お経をサンスクリット語で唱え、葬儀という儀式を成立させる、これが坊主の仕事といえるでしょう。
さらに何回忌という法事が死後何年かおきに発生しますので、親戚一同が集まった所へ坊主が呼ばれ、また日本語では分からないお経を唱えて料金をもらうという業務を行うのも坊主の仕事です。
つまりは葬式仏教とも呼ばれるのが大多数であり、坊さんも生活していかなければなりませんから、お布施という名の料金をもらっているわけです。
なので、勘違いをしてはいけないのは、お坊さんは一般人と同じただの人であり、特別な存在ではありません。
もちろん、中には本来の仏教を極めようと、悟りの境地を目指している人も存在しているでしょうが、極々まれです。
そのような方は仏教の神髄を求めた修行者であり、葬式に呼ばれて金を貰うような事はしない人が多いと見受けられます。
だだし、そういった方は例外であり、人が亡くなる事によった葬儀に呼ばれて利益を得ているのがお寺の実情です。
なので、坊主がゲス不倫をし、その調査依頼が探偵に入る事もあるのです。
以前、坊さんの配偶者から浮気調査を依頼され、調査したところ、若いシングルマザーと不倫をしていました。
その坊主の寺は浄土系の寺で、浄土系の教義は人間が生きているうちは悟りは開けぬので、南無阿弥陀仏と唱えておけば亡くなった時に阿弥陀仏が浄土へ連れて行ってくれるから、生きているうちに悟りをひらくような修行は要らないということのようです。
それが教義の大前提であれば、坊主といえども何をしてても良く、南無阿弥陀仏と唱えておけば良いという事になり、不倫をしようが何をしようが、極楽浄土へ行けるという事になります。
日本にある仏教の各種宗派は、もはやお釈迦様が唱えた原始仏教とはかけ離れており、前述したように、単に葬式という儀式を行う為のものと考えるのが正しいといえるでしょう。
好奇心があったので、ある坊主に、仏教について突っ込んだ質問を受けたらどう答えるのかと聞いたところ、聞いているうちに面倒くさくなるような話をして煙に巻くと言っていました。
自分が悟った事がないのに、教えられるわけがないので当たり前といえば当たり前なのですが、だったら、正直に自分も分からないと言えと思いますね。
酷い坊主になると、決まった時期に法事を行わなければ罰が当たるぞという脅迫まがいの事を言って、法事という名の営業をしている者も存在します。
本来の仏教は悟り、つまりこの世の真理を得る為のものであり、葬式という儀式を行う為のものではありません。
罰が当たるなどという事を言い、恐怖心をあおり、しなくてはならない儀式という概念を植え付けてきた坊主連中こそ罰が当たるのではないかと思ってしまいます。