本来の仏教と葬式仏教、そもそも釈迦とは何か
2023年02月3日
家族が亡くなると、お葬式をするのが通常です。
しかし、現在においては、お葬式はしますが、以前のように大掛かりなお葬式ではなく家族葬が増えてきました。
お葬式自体を行わず、火葬してお墓に入れるだけの直葬という方法も現れてきており、これまでのお葬式に対する固定観念が崩れてきました。
人の死、宗教、罰当たりなど、少し怖い感じがする分野において、誰もがそこに変革を求める事が無く、何百年にも及んできたしきたりとして葬儀というものが発展してきたのでしょう。
昔の葬儀は、今のようなものではなく、平民であったり、戦国時代であったり、その時代や身分によって、葬儀自体が無かった時代があったようです。
今のような告別式が一般的になったのは明治からとも言われており、日本において全ての国民が葬式を行うようになったのは、歴史上ではごく最近といえるでしょう。
そして、日本の葬式に関しては、神葬祭、仏式、キリスト式など、多種に渡りますが、多くは仏式で行われています。
その中でも仏式に関しては、全くもって本来の仏教、そして仏教の開祖であるお釈迦様の説かれた事とは全く違った葬式になっている事を知らずに、しきたりに沿って言われるがままに行っているという現実があります。
あるお坊さんに聞いた時の事です。
そこは、浄土系のお寺だったので、南無阿弥陀仏と唱えるお経の所だったのですが、仏教の根源的な事を尋ねたところ、そんな事を気にする必要は無い、お経は呪文のように聞いていれば、救われるのだという事を言われました。
確かに、宗教とは謎めいた所はあります。
しかし、何の根拠もなく、ただ信じろというのもおかしな話だと思い、仏教について多岐に渡り調べてみました。
すると、原始仏教というか、仏教とすら言われていない時代、お釈迦様が説かれていた話は、西洋で言えば哲学だったのです。
いわゆる、この世の真理、この世とは何ぞや、何故に生まれてきて死んでゆくのか、何故に生きているのか、その意味はなんぞやという事を自身の修行によって目覚めた人、それがお釈迦様であり、目覚めた事により仏陀となったのが事実です。
それを後世の弟子たちが宗教にしてしまい、解釈を変えていき、現代においては職業としての僧侶という形になったのです。
日本における戦国時代等においては、生き地獄のような世の中であった為に、死ねば浄土に行けるという慰めも必要だったのかもしれません。
しかしそれはその当時の世情の事であり、今のような平和な時代において必要なのかという疑念が出るのは必定です。
という事で、今はネット社会ですので、調べればなんでも分かる時代です。
もはやこれまで考えもせずに受け継がれたきたしきたりがどれだけナンセンスだったのかという事も判明してきたのでしょう。
そう考えれば、数百年も前に、それを悟り、肉を食い、妻帯し、酒も食らって朝廷から権力をもらって武力まで発揮していた当時の仏僧を毛嫌いし、掃討してしまったという行為は、残虐ではあれ、考え方は間違っていなかったともいえます。
本来、真理を得る為のものが、葬儀を行う為のものとなり、それが商売となっている実状に異を唱える者が出てきたのは当たり前といえるでしょう。
葬儀をしなければバチが当たる、仏罰を恐れよなどと言うセリフは、坊主共の食い扶持が無くなるから言っている事に他なりません。
坊主丸儲けという言葉があるように、仕事から離れれば、高級車を乗り回し、高級店で食事をし、夜の街で遊びまわっているのが現実の坊主です。
仏罰やバチなどは、単なる迷信です。
そんなものは気にすることなく、自分の家族が亡くなった時は、身内だけで弔う事になんの問題がありましょうか?
騙されないようにしましょう。