商売坊主
2022年08月26日
お寺と呼ばれる所でお経を唱える人をお坊さんとか和尚さん、住職とか呼びます。
結論から言いますと、現代のお坊さんは、お坊さんという職業です。
決して悟りをひらいた人とか、悟りをひらこうと修行している人ではありません。
全てとは言いませんので、ごくまれに、悟りの境地を得ようと修行している方もいらっしゃるかもしれません・・・
しかし、ほとんどのお寺は葬式や法事に呼んでもらってお布施をもらうという仕事をしているのです。
形式上、宗教という事になっていますが、お経を唱える仕事をする団体というのが正確な評価ではないでしょうか。
ありがたいお経を唱えてもらって、亡くなった人を極楽浄土へ送ってもらう、又は法事の時にお経を聞かされて、仏教の境地の片鱗に触れ、自分達も亡くなった時にはお経を読んでもらって極楽へ行こうと思うと考える人も多いとは思いますが、そもそもお経が何なのか知っている人はそうそう居ないと思います。
それどころか、仏教が何なのかすら知らない人も多いのではないでしょうか?
これを知ってしまうと、お寺や坊さんの有難みが無くなってしまうので、一般人に考えさせないようにしているふしが見受けられます。
過去に、ある坊さんに仏教の本質のような事を聞いた時に、そんな深い事を考える必要はない、ありがたいお経を聞いて念仏を唱えていればいいのだと言われたのを憶えています。
何を言ってるんだこの坊主はと思いました。
悟りのひらき方とか究極の話を聞いたのではありません。
そこの宗派において、お経の解釈はどのようになっているのかという話をしただけです。
この程度の事を的確に短く回答できない者が何が和尚と言えるのでしょうか?
この坊主は、一応、形式だけの宗派の修行は終えているようですが、一般人で言えば、国家資格を取ったような感覚でいるのでしょう。
葬式があれば金が入ってくるだけという感覚で仕事をしている坊主がどれほどいるやら・・・
それが証拠に、時宗という浄土系の宗派の寺の坊主が不倫しているという事で浮気調査をした事があります。
やっと寺に空きが出て、住職になれたのに糟糠の妻を捨て、訪問販売に来た若い女と不倫に走り、やりたい放題の生臭坊主。
法事の時には偉そうにお説法を聞かせているのかと思うと、反吐が出ます。
浄土系の宗派は、南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土へみんな行けるという教義になっています。
つまり、南無阿弥陀仏と唱えれば、何をしてもいいという事です。
さらに、浄土真宗では悪人ほど極楽へ行けるという教義もあるほどです。
だったら、南無阿弥陀仏と唱えればいいのですから、葬式に坊主を呼ぶ必要はないといえるでしょう。
葬式すら必要ないともいえます。
現実主義な人達が最近は増えて、葬式をせずに直接火葬して納骨するという方法も出てきました。
とてもいい流れだと思います。
仕事として商売に徹して坊主をやるなら、そう宣言してやってもらいたいものです。