余命が分かると善人に悪人に
2022年05月25日
人は必ず老います。
そしてなんらかの病気になって死にます。
病気にならずに死ぬのは老衰といって、衰えて死んでしまう事であり、病気で苦しんで死ぬよりかは最高の死に方ではないでしょうか。
ただし、痴呆症とかの脳の衰え等が無い場合に限られるかとは思いますが・・・
まだ頭がハッキリしている状態で、余命が宣告されたり、自分自身で死を意識する状況になったらどうなるでしょうか?
ウクライナに侵攻しているロシアの大統領は、なんらかの重病を患っているという説があります。
もしこれが本当だったら、死を意識した独裁者が暴走しているといっていいでしょう。
一国を自由に扱える独裁者、それも大国、軍事大国であったら、それは多くの人類の悲劇と言っていい事態になってしまうかもしれません。
このように、死を意識すると、悪にはしる人が存在する事が証明されたのではないでしょうか。
また、善人になろうとする人も存在します。
だいぶ過去の話になりますが、ある地方で、公共事業を請け負っている設計事務所が、今後は「談合」はしないで、正規の競争入札により仕事を自治体から受注すると宣言しました。
これまで、自分も含めた全員が談合をして、自治体が積算した予定価格に近い金額で仕事を受注し、利益をあげてきていたのに、自分が死に直面したらいきなり手のひらを返しました。
客観的に見れば、これまでの悪行を悔い改めて、真っ当に生きる事にした人といえるかもしれません。
しかし、死に直面する前にそうすれば称えられるかもしれませんが、自分がこの世から消えてしまうという現実を知ってから悔い改めてみても、時既に遅しであり、死なばもろともという意識での行動としか思えません。
死を意識して戦争を始めた独裁者、死を意識して犯罪を止めた社長、前者は悪人で、後者は善人なのでしょうか?
否、どちらも自分の死を感じて暴走しているだけでしかないと思われます。
多くの人が、自分の死を意識した時に、うろたえて常軌を逸しる行動をとってしまう事はあるでしょう。
しかし多くの場合、それは自分の身内内での話でとどまるので、多くの人に迷惑はかかりません。
死を受け止めて、誰の迷惑にもならず、死ぬ時に備えて残された者に迷惑がかからないように準備して亡くなる人も多くいる事でしょう。
全ての人がこのように死を受け止めてくれればいいのですが、人を巻き添えにしようとする者が存在するのが問題といえます。
人の世は白黒つけられるような単純なものではありませんが、自分の理屈で他人に被害を及ぼすのは間違いなく悪行といえるでしょう。