簡素化されてきた葬式
2025年10月25日
ここ数年で、お葬式がだいぶ小規模になってきているようです。
企業の代表者などのお葬式は、まだまだ盛大にやっているようですが、著名人や芸能人なども、近親者のみの葬式を行うようになってきました。
影響力のあった人は、後にお別れ会のようなものを開いているようですが・・・
いつからなのかは調べていないので、分かりませんが、お葬式を一大イベントのようにしてしまい、人脈の確保や自らをアピールするような場になっていった気がします。
なので、喪主側の人が全く知らない人が参列しているなんて事も茶飯事です。
だから葬儀場が乱立してしまったのでしょう、儲かりますから。
しかし最近では、葬儀の本来の意味を考える人も出てきているのと、葬儀代の高騰で見積額を見ただけで、こんな額では払えないので葬儀は行わないという人も増えてきたので、家族葬なるものが流行り出してきました。
小さなお葬式という宣伝文句のコマーシャルまで放映されているようですから、大掛かりな葬式は今後どんどん減っていく事でしょう。
田舎の場合、集落の班ごとに葬式の手伝いをするのが一般的で、葬式も各家庭で行ってきましたが、葬儀場が乱立するようになってからは、家で葬儀を行う人はほとんど居なくなりました。
手間が掛かる事は葬儀屋がやってくれるので、香典の記帳を管理する程度の手伝いか、それすら葬儀場側でやってもらえる時代になりましたから、葬式の手伝いを町内で行うという風習もだんだんと減っているようです。
家族葬のような身内だけの葬儀だと、香典は身内からしか入りません。
以前のような大規模な葬儀の場合、参列者の香典で葬儀代が払えた場合が多かったようですが、家族葬の場合は多少の持ち出し出費はあるようです。
ここで大事なのは、新聞にお悔やみの記事を載せないという事です。
新聞に載せてしまうと、身内以外の人が葬儀に来てしまい、帰ってもらうわけにもいかないので、また付き合いが続いてしまいます。
当然、香典も置いていくでしょうから、その方の身内が亡くなったら葬儀に行くしかなくなってしまい、葬儀を行き交う連鎖が途切れられない状況になってしまいます。
亡くなった方への思いは、各個人で消化し、葬儀に出席する事が故人をしのぶという考えは捨てるべきです。
身内が亡くなるという事は、そうとうなショックであり、その悲しみは尋常ではありません。
その悲しみを感じる暇もなく、通夜や葬儀の手配に追われ、参列者への対応に追われ、バタバタが終わってからやっと故人について考えられるというのは異常な状況と思うのですが、その一方で、身内が死んだショックを紛らわせるという側面もあるんだと言う人も居ますが、これは各個人の価値観の問題でしょう。
昔は小規模な葬式や式自体を行わず、お墓に納骨するだけの直葬なんてしたら、どれだけ金が無いんだなんて裏で罵倒されていたようですが、全くもって馬鹿げている話です。
以前、知り合いの僧侶に、自分は海洋散骨にしてもらおうかと考えていると言ったら、目を白黒させて、ちゃんとお墓に入った方がいいなんて言ってきました。
さらには、海洋散骨するなら歯の一本程度にしとけば等とふざけた事を言ってきたのです。
おそらくは、自分たちの存在意義が失われていく危機感からの言葉だったと思いますが、まさに葬式を商売にしている坊主が言いそうな事だと思い、付き合いを断ち切りました。
一般人のほとんどが葬儀を行うようになったのは江戸時代あたりからであり、それ以前は身分の高い人だけもものであったそうです。
つまり、葬儀を行うのが当たり前になってそれほどの時間は経っていないという事になります。
今一度、葬儀というものを真剣に考えてみる時代になってきていますので、葬式利権に無駄なお金を渡さないように、葬儀の本質について考えるべきと思います。











