フィクションと現実を混同しない
2023年02月9日
史実に基づいた歴史もののドラマや映画、小説の類において、書いている者の主観や想像の元に記されている内容が有る事を認識していないと、浅はかな知識となってしまいます。
というか、その浅はかな知識を植え付けられてこれまで来たという現実もあります。
学校の教師や、目上の者から、歴史から見る格言や事象などの事をさも事実のように伝えられれば、すりこみのように頭に入ってしまっている事でしょう。
子供の頃にそれを検証するというような考えになる者は極少数であるでしょうし、疑問に思うような子供は変わり者と思われたりした事でしょう。
しかし現実は、そのような変わり者と言われるような子供のように、本当にそのような事があったのかという疑問を持つ事が大事なのです。
お芝居として、よりエンターテインメント的に人を楽しませる娯楽として、フィクションを織り交ぜて、面白おかしく、又は生きていく上での戒め等の教育的な要素を取り入れるのは良い事だと思います。
ただ、それが真実だと思い込んでしまうのは、本来の現実との乖離がありますので、注意が必要なのではないでしょうか。
日本で言えば、NHKの大河ドラマでいえば、戦国時代や幕末の頃の話をドラマ化したものが多く放映されています。
史実がある以上、大まかな流れを変える事は出来ませんが、その中でどのような動きの中で歴史が動いたのかという部分については、脚本家やその他の関係者によって作られているものといえます。
英雄と言われた者が、実は姑息な手段で勝利を収めたとか、特異な能力を発揮して合戦に勝ったと言われているというものが実は単に運が良かっただけとか、忠臣と言われている者が実は権謀術数を使いまくって裏の顔を持っていたという本来の事実もあるかもしれません。
何故なら、大きな歴史の流れ以外の詳細は、全て書き手の想像でしかないからです。
お隣の中国では、三国志などが日本で有名であり、人気の歴史ものです。
しかし、大衆が知っている、又は小説等で呼んでいる三国志は、三国志演義という時代小説であり、これまた本来の事実とは違っています。
どこでどのような戦いがあったとか、誰がどこで討ち死にしたとか、おおまかな歴史の流れはそのままですが、そこに至るドラマにおいては、後世の者が面白おかしく書いたものです。
そこには忠誠心や義の心など清い精神が美徳として表現されていますが、近代の現実を見れば、そのような考えでは滅ぼされてしまうのは必定であり、現実は昔からそのような汚い世の中を生き抜いてきた者が歴史の大舞台に残されているといっても過言ではないでしょう。
フィクションの世界の性善説を信じて生きているのはとても危険ですので、自己防衛をする上で考えを改める必要があると思われます。
理不尽な戦争が今現在も起きているという現実を認識しましょう。